ロマネスク建築からバロック建築の流れ(前編)

ィアゴ デ コンポステーラ イギリス

今回は西洋建築の歴史を追っていきます。題材とするのは西洋建築を西洋たらしめる、ロマネスク時代からバロック時代までのです。もっと昔からだとメソポタミアやギリシア時代からの建築まで遡ることが出来ますが(何故なら文明の数だけ発掘できる建築があるので)古代の建築は内容が少しばかりか地味なので今は置いておきます。

ロマネスク建築

ロマネスク建築はカール大帝による中央集権政治体制が崩壊した頃合いから萌芽した。ヨーロッパの地方地方が神聖ローマ帝国から巣立ち、自治と独立の育みと共に建築デザインの差別化が始まったのだ。

この建築運動は自然発生的なものというよりかは、時代の流れを汲みして始まった。というのは、9世紀から10世紀前半にかける大混乱が元ローマの国々の建造物を大規模的に破壊せしめたからである。スクラップ・アンド・ビルドの最初の部分が歴史的な偶然か必然から満たされたのだ。

人々は荒廃した町と村を復興する過程において、それまでとは違った新しい価値観を建築活動の中から見出そうとしたのだ。それは戦後の日本の場合では東京大学や東京駅がそうだったが、中世の場合は中世らしく、修道院や教会から新しい建築デザインのムーブメントが沸き起こったのだった。

紀元1000年から始まった初期ロマネスク建築を大きく2つに分類するなら、それはゲルマン的建築とラテン的建築とに分けられるかもしれない。

ゲルマン的建築

ゲルマン建築は、北方ゲルマンの木造を基本とした建築構造である。森文化の国々からの文化を継承しているため、彼らの心の故郷であり神聖さの象徴である森の中を再現しようとする。

薄暗い奥深くの森の中で、時折ふっと開けた場所に天をつく造形物に出会えば、旅人は(遭難などで限界状態ならなおよい)森の中で出会った教会に否応無しの信仰を見出すだろうし、そのような物語があったのを想像してみるのも面白い。

ラテン的建築

地中海地方特有の石造を基本とした建築手法である。外界の強い陽の光を厚い壁で避けて、中にひっそりとした静かで厳かな空間を作り出す。多種多様な人種が交錯した地域であり、ビザンティン、初期キリスト教への回帰とイスラムの影響が特徴的。

この南北を分けた建築文化はキリストの生誕1000年後に邂逅し、ロマネスク建築という完成された花形を世に現すことになる。天井高さを求め多塔構想を指向する北方ゲルマン建築と、石造ヴォールト天井で全体を荘厳に包むラテン建築文化が見事にフュージョンするのである。

サンセルナン教会堂
トゥールーズのサンセルナン教会堂。垂直性のある高いバシリカ聖堂だ。半円状のオーソドックスなヴォールトに側廊に渡すメインアーケードも、天井部と同じリズムで規則正しく整列する。

中世における巡礼ブームと教会建築の興隆

キリストの生まれた年と定められている紀元元年から千年という節目に降り立ったのち、人々の小さな胸のうちで小さな最後の審判が膨らんでいき、その数が耐えきれないくらいに多くなると実際的な社会全体のムーブメントとなった。

信仰ムーブのやり方は様々であるが、人間の歴史はどうあっても金銭・経済的なものと切り離せない関係にあるため、以下の通りの動きを見せる。

ある人は初期キリスト教時代の殉教聖人の苦難を追体験しようとしたが、ほかのある人は聖遺物崇拝に病みつきになった。聖遺物は初期においては遺骨だけのかわいいものだったが、次第に着衣や付属品にまでが聖なる物として価値づけされていった。

この動きに最初に目をつけたのがクリュニー修道会だ。スペイン西のはずれには12使徒の一人大ヤコブの墓を所有するサンチャゴ・デ・コンポテスラ大聖堂院がある。修道会はここをヨーロッパ最大の巡礼地の中心に仕立て上げ、大修道院帝国を作り上げるのに成功する。

ィアゴ デ コンポステーラ
奥に見えるのはサンチャゴ・デ・コンポテスラ大聖堂。クリュニー修道会はこの地域近辺に続々と宗教的建築物を建てていったので、グーグルマップで周辺をストリートビューで探索するとかなり面白い。大聖堂の中までストリートビューが用意されている!お金がない人はおうちで旅をしよう!

ロマネスク建築は地方の独立から起こり、それゆえに地方の職人や地方で取れる建材からの特色で建築的特色が個性化していった。

例えば、イル・ド・フランス(パリ地域圏)の教会堂はパリ近郊の石切場で取れた石材を使用し、東部ロレーヌ地方ではこの地方特有の砂岩。中部のオーヴェルニュ地方では火成岩、花崗岩、凝灰岩などが採用され、石材の乏しい南部トゥールーズでは煉瓦建築に手法を凝らしたのだ。

イタリア建築の特徴は初期キリスト教の簡素なバシリカ形式の伝統を頑なに守っているところにある。イタリア・ロマネスクの建築堂は北方の高さのへ希求や多塔構造、双塔正面の構成とか放射状祭室、周歩廊、内陣、交差部採光塔といった立体的には無関心で、あくまでオリジンのバシリカ形式を愛した。

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ピサの大聖堂と斜塔。イスラム的な玉ねぎ型のドームに、ロンバルディア帯、ローマ風の規則的な列柱。イタリア地域を通過した文化を豪華にてんこ盛りしている。塔が傾いているのは地盤のせいらしい。日本でも傾いた電柱はよく見かけるけど、こんなに大きな建造物をそのまま放っておくのはいかにもイタリア文化らしくて良き。

ゴシック建築

ロマネスク建築が各々の地方都市の巡礼路に野辺の花のように咲く建物であるならば、ゴシック建築は都会の中心部で極めて集中的に品種改良を重ねて得て生まれた、より人口的な建築の華だと言えよう。

1140年から百年間パリを中心にしてエネルギッシュな建築活動が沸き起こった。町の中心部には広場があり、広場に面するかっこうで聖堂が建つのは今までの記事でいくつか書いてきた。

おそらくは、ロマネスク時代に資金が潤沢になった聖職者の組合、教会参事会のお方々が有り余ったお金でさらなる投資を試みたのである。それは、純粋な不動産投資という金銭的な目論見からというよりかは、当時代人の直感的感覚で、もうこれ以降はこれ以上の贅を尽くした大掛かりな建築物は生まれないだろうと、鬼気迫る予感においてブームを巻き起こしたのだ。

実際、後に起こるルネサンス建築以降では宗教建築は少しずつ斜陽化していく。当時の宗教関係者たちは間違いなくこの時代が宗教バブルのてっぺんで、今のうちに最高の記念碑をより最高の域に持って行かせようという意気込みがあったはずなのだ。

ゴシック建築の一般的特徴として、天井が高く上昇感の強い室内構成と、壁一面に開かれたステンドグラスから入る光などが挙げられるが、これらの建築アイデアはロマネスクやイスラムからの継承を複合させたものである。

こうした建築デザインの発端となったのは、サン・ドゥニの修道院付属聖堂内陣の改築工事で名を馳せたシュジェール院長の手による。彼は9世紀以来人々に忘れ去られようとしていた、この旧い建物に新しく蘇らせようと試みる。各地から石工、製造彫刻師、画家、金銀細工師、ステンドグラス職人などを呼び寄せ、現場でうるさく立ち回り、自身の理想の構想を実現させようとした。

Basilique de Saint-Denis
サン・ドゥニ大聖堂の素晴らしいバシリカ堂内。垂直に伸びた高天井に、側廊の等辺アーチの見事な大窓。静かな暗い雰囲気のあったロマネスクとは違う、ゴシックらしいゴージャスで華々しいデザインが形成されている。

改築工事の評価については、そこから始まったゴシック建築熱という歴史を見れば十分だろう。献堂式に参加した司教たちの感動が、その後のイル・ド・フランスのカテドラル改築ブームを促したのだ。この動きはロマネスクブームとは違い、限定的な範囲での流行だったがその理由はどこに求められるだろう?

考えられるのは、その他ヨーロッパ地域の建築物はロマネスクやローマ時代の文化を「完成」させすぎてしまったものであり、パリ地域のそれは大聖堂を見る人の審美眼からすれば「不完全」に見えたからなのかもしれない。それゆえ、イル・ド・フランス地域ではゴシックというさらなる進化を希求したのだ。建築という文化は満足によって進化が止まり、不満足によって再び新たな道に足が踏み入れられる。

ゴシック時代においての建築技術の発達が、天を、より高きを目指す人々の憧憬をいくらか満足させた。当時の技術者はリヴ・ヴォールトや飛梁などの技法により、堂内天井高の限界値を探ってゆく。この好奇なる実験はボーヴェ大聖堂の48mで打ち止めになり、それ以降人々は装飾の方に力点を置くことになる。

後期ゴシック様式においては、フランボワイヤン式などに代表される華々しく複雑な建築形状が、それまでの高き天と大ステンドクラスという荘厳な大空間の演出の仕方を、過去のものにすることになる。「位置」と「空間」で魅せる設計から「装飾」へ移行する時期だ。

イタリアのゴシック建築

イタリアのゴシック建築は高さを求めてきたフランスのものとは違い、ロマネスク時代の保守的なものを継承しながら、ゴシックの時代を受け入れている。アッシジの聖フランチェスコの墓廟は、イタリアンゴシックの特色をよく再現している例だ。

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サン・フランチェスコ大聖堂。天へ目がけて垂直に引っ張られがちなゴシック建築に比べ、こちらのはやや水平的な拡がりを見せ、装飾に対するこだわりの部分も質素である。フランシスコ会らしい設計デザイン。ローマ的な列柱もあり、かつ、ファサードに向けた真円と精緻な幾何文様をくわえたトレーサリーは秀逸。

これよりも挑戦的に建設したイタリアンゴシックの代表例として、シエナの大聖堂がある。シエナは中世期においてのフィレンツェに並ぶ大都市で、都市風の洗練された、というか華美な装飾が際立っておりゴシックらしい仕上がりとなっている。

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シエナ大聖堂。上の写真と比べて同じゴシック建築で同じ聖職者の設計でこうも違うかといった具合。ごてごてした装飾はゴシックらしさ全開だ。平面構造としては、ここでもイタリアンゴシックらしい水平さを保っている。

この設計に携わったのはシトー修道会の修道士からだという話だ。白い修道士らしいデザインで、白と黒のモノトーンで配色された大聖堂はトスカナ地方の風土と経済によく適しているといえよう。白大理石はトスカーナの地産。

イギリスのゴシック建築

イギリスのゴシック建築で特徴的なのは天井部分だろう。エクセター大聖堂の網状ヴォールトや、ウェストミンスターホールのハンマービームなどが面白い。

右の木造梁はそれまでの重厚なイメージを払拭させ、より世俗的な印象を勝ち得ることに成功している。言うなれば、聖職者の時代から世俗の時代へと建築スタイルが変遷する過渡期の一枚を撮らえたものだとも言えるのかもしれない。

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