騎士について(前編)

army horse フランス

今回は騎士について書きます。騎士は中世の象徴的存在だったわけですが、実際にはどんな存在で、どんな風に生活していたのかに焦点を当てて紹介します。

騎士と非騎士

騎士のことを書く前に騎士の定義をはっきりさせなくてはならない。騎士 = 中世の軍人とすると、戦争に参加していた者全てを高貴なる騎士様めにしなくてはならないので、ちがいを示さねばなるまい。

騎士と騎士ではない軍人のちがいは、ずばりファッションである。

ファッションというのは、服装、ここ戦場で言う所の装備品だ。騎士というのは貴族であり、貴ぶべき存在、かっこう良くなければならない。だから、戦いの際の戦闘服というのは、他の有象無象の武人とは見た目の点で一線を画しているべきなのだ。

貴重な剣に、精巧な鎖帷子、ぴかぴかに磨かれた大兜に甲冑。金の拍車に、勇ましい馬にまたがると、下々の兵たちを見下ろし、心理的にも大きく強くなった気になれる。

これに対し、農民・平民出の軍人は革製の防具や、木の盾を装備した。武器や防具は、ドラクエ的な世界観を踏襲すると誤ってしまうのだが、まともな物は高すぎて、とてもや個人のマネーでは買えやしなかった。

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鎖帷子が高い?ドラクエの物語の前半ぐらいで買える防具じゃん!と言いそうなのが、我々現代脳。実際の鎖帷子はいくつもの鉄の輪を丁寧に編み上げて造る立派な工芸品であり、当時は鉄の値段だって安くはなかったのだ。

剣なんて防具をつけた人間を一発二発ぶった切れば、すぐになまくらになっただろう。甲冑は比較的に長持ちしたらしいが、馬なんて、生ける資産は飯や飲水が必要だし、激しい戦ですぐに死んでしまう。実際には格好をつけるための道具でしかなかっただろうに。

こう言うと、騎士とそれ以外を分けるものは見た目でしかなかったのだろうか?なるだろうが、そう言い切ってしまうのは、さすがに騎士様に失礼というものだ。

職業軍人である彼らは子供の頃から厳しいトレーニングを積んでおり、体力的にも技術的にも、普段クワを振るっている農民とは違いが出ていなくてはならない。また騎士の隊では血縁の近い者同士が組んで素晴らしいチームワークを発揮することがあるのだが、統率性の良さは軍事において何よりも大事だ。これについては後述する。

中世の戦争と経済事情

中世では避けざるを得ない戦争が起きた時はどうしていたのだろうか?現代であれば、システマチックな行政機関が毎年の防衛費を割当て、恒常的に軍備を出動する体勢が整っているが、中世ではまったく中世らしいやり方で法を考えていた。

『従軍勅令』という中世の法律が、戦費を賄う手段として愛用された。この法律に従えば、大土地所有は割り当てられた兵士の数に対して適切な武器と甲冑を与えねばならなかったのだ。金持ちの貴族は、領主としての経済的責任を果たす必要があったというわけだ。

ただ、戦乱の絶えなかったようにみえる中世ではあっても、いつでもどこでもドンパチがあったわけではない。基本的には夏しか開催されない戦争のために、戦士たちへ装備品、寝る所、食べるものを用意していた大領主(公爵・伯爵・修道院長・司教)たちは、次第に金銭上の危機感を覚えるようになっていった。

果たして、これに対応する技術が考案される。貴族が彼ら戦士に領地を貸し出し、うまく騎士地主となった彼らの方で生計費を賄うように提案したのだ。当然のことながら、これでうまく儲けられる騎士とそうでないのが二分されただろう。ビジネスの才能と戦闘の才能は別物だからだ。

ビジネスを成功させる者が多くなるにつれ、騎士貴族という階級が次第に形となっていく。彼らは高価な舶来品を購入したり、詩人や音楽家のパトロンになったりして、自分たちの高貴さを演出するための第二の本業に邁進した。

戦争においてはしばしば略奪が黙認され、戦場の実務者たちは己の生計を最優先した。彼らは金目のものならなんだって、懐に忍ばせたのだ!しかし、これは儲かるやり方の小規模のものでしかない。

騎士としての最も大きい成功は、結婚である。それも宮廷の高身分の女、大貴族の資産を相続した女と結婚するのが、騎士ビジネスの完成形なのである。夫は妻からの広大な土地を保有するに至り、家のつながりによる名誉も勝ち取る。結婚はいつの世も、最強のビジネスなのだ。現在世界三位のお金持ちの女性は、ジェフ・ベゾスと結婚し離婚したマッケンジー・スコットだ。

騎士文化と愛

愛という概念は外国からの輸入品であり、その発祥はフランスの騎士からだという話はみなさんも聞いたことがあるのではないだろうか。騎士は忠義に篤く、仲間を大切にし、そして女性にはとりわけ卵のように丁重に扱った。

真偽のほどは別として、このような通説を流行らせたのは文筆業者だ。通俗詩家のトゥルバドゥールの描く文字作品なかでも人気なのは、とりわけ恋愛詩だった。二番目人気はややセクシュアルな系統のものだったかもしれないが、恋愛ものが大衆の人気を勝ち得、これがのちのロマンスという不滅のエンターテイメントのジャンルを位置づけることになる。

トゥルバドゥールによれば、真の騎士は自分よりも身分が高い既婚女性に愛を捧げなくてはいけない、しかし、彼は恋心を秘めなければならない。とあるが、達成しない秘めた熱い恋心、身分違いの恋というのは、いつの世も恋愛脳の読者を狂わせる定番の物語だ。

現実的な側面で追っていくと、王宮女性へのお手つきはブルゴーニュの屈強な兵士との合戦以上に冒険的な行為だった。そのため、側近兵士は主君からの疑いの目を向けられないようにするため、必要以上には高貴なひとたちには接近しなかったと思われる。敬虔なキリスト教徒たちは、ヨセフと同じ目に遭う危険性を常々考えていたのである。

聖杯を巡る冒険

騎士文化は基本的には存外ストイックなもので、浮ついた恋愛以外でも、聖杯探求の物語もある。聖杯に辿り着いた騎士が、荒廃した王国を回復させる質問をしそこなったのち、騎士は長い探求の旅の果に贖罪を果たすという筋書きも人気だ。精神的な円熟がなければ完璧な騎士とは言えない。この高潔性もロマンス文学を支えるための基石となったのだ。

聖杯といえばFateだが、Fateはもちろんこの中世文化からの借り物だ。あの作品はキリスト教とゾロアスター教のアイデアを交錯していて面白いのだが、聖杯のオーソドックスな意味合いは、最後の晩餐でキリストが使った杯、十字にかけられたキリストの血を受け取った杯である。

騎士の物語やロマンスは、現代にでさえもカタチを変えて連綿と受け続いているのだ。ドン・キホーテがロマンス小説の読み過ぎで、現実と虚構の区別がつかなくなり遍歴の旅に出たのも無理はなかろう。

名誉のための戦

所領を得た騎士たちにとっては、戦争で得られる戦利品(それはもちろん身分の高い人質の身代金も含む)をつかむためのビジネスは、出兵にかかるコストと勘案しても割のあるショーバイではなかった。部下にも装備が必要だし、基本的に消耗品である馬を戦に出すと傷物になって廃馬業者に手渡す羽目になる。

それだのに、十字軍に参加する騎士が必ず一定数いたのには、お金以外の物を手に入れようとしていたからに違いはないのだ。つまりは、名誉を勝ち取りたかったわけだ。マズローのピラミッドの上を上を目指すための動機で戦っている。

彼らのうちには本気で、異教徒を倒した後のキリストの栄光の光が捧ぐ大地を想像した者がいたのだろう。十字軍遠征に赴いた騎士の多くは二度と故郷の土を踏めず、数百の騎士の家族が遠征のために破産した。そのためエルサレム行った者は、その後何代にもわたって栄誉を授かった。

中世の武具

ここでは中世当時の武具について、それぞれ書いていく。

鎖帷子
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Chain mail

質の良い鎖帷子は2万5千個の鉄の輪で造られ、豊かな村の一年分の収入に匹敵する価格で取引された。11kgほどの装備品で、両肩に重みがかかったが、帯をキツめに縛ることで肩への負担を軽減できた。

鎖帷子はその形状的特製から剣で斬りつけられる攻撃には強かったが、刺す方の動きには弱かった。つまりは、槍兵や弓兵が彼らの天敵だったのだ。向かってくる弓矢に対しては戦士は凧型の木盾で防いだ。

鎖帷子は管理にも難癖がつけられた。まだステンレス鋼が開発されていなかった時代なので、錆びないように定期的に油で塗布して保管する。管理不行き届きで錆びた場合は、品物を砂と籾殻の入れた樽の中に入れ、勢いよくかき回すのだった。

財産に余裕のある兵士は鎖で編んだ手袋や脛まで覆う靴下を履いた。鎖帷子の上からは、サーコートという布製の上羽織を身に着けた。これには防護性能はなかったが、紋章を入れて身分を示すのに役立った。

甲冑
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後代に進むにつれて、甲冑が次第に全身をくまなく覆っていくことになる。武具師は肘や膝、むこうずねを保護する鋼板を制作し、鎖のミトンに変わって、鉄板の籠手を身につけるようになった。人体の急所である首にも鉄鋼が保護する。頸鎧だ。サバトンと呼ばれる特殊な鉄靴も誕生した。

甲冑は広い部分を鋼鉄製の一枚板で出来ており、革紐で身体に留める仕組みになっていた。関節部分は金属の小片を重ね合わせて鋲で留め、柔軟に曲がることができた。15世紀の完全武装鎧は、23~27kgあったが、重みが分散されていたので鎖帷子よりも楽で着心地が良かったらしい。

馬上槍試合用の鎧はもっと重量があり、馬に乗る時には巻き上げ機が必要になった。甲冑は防護性能が高かっため、次第に盾も不要になった。

甲冑の進化は弩の発明によるところが多い。より遠距離から強い威力で進む紅蓮の弓矢を前にしては鎖帷子という防護品はあまりにも無力だったのだ。品質の良い高級な甲冑はケルンやミラノの工房から製作された。

兜はスパンゲンヘルムという古代ローマ時代からの物が長く使われた。これは見て分かるように頭部と鼻は守られているが、その他の顔部分や頸などは無防備を晒した。この装備はヴィンランド・サガでビョルンもしていた。

スパンゲンヘルムの次に流行ったヘルムは頭部全体を覆う大兜で、目と口の部分に狭い横穴が空いた造りのものだ。これにどんどん改良が加わっていったのが、バシネット式兜である。面頬の部分に番があり上下に上げ下げが可能であった。

窒息対策に有効的だったが、これよりもよくしたもので、口元を口裂け女のようにばっさり開けた次世代型は呼吸がより楽になり、実用性が増した。息継ぎのたびに面の中央部を上げ下げするのも実戦的ではないしな。なお、全身鎧は火器の登場と進化の毎に、無用の産物と化していく。鉄鋼防備を意味なくするほどの威力の攻撃が誕生するからだ。

槌矛(メイス)
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Mace

槌矛は歩兵の一般的な武器であるとともに、近接戦闘にてとても有効な武器だった。剣や弓矢を弾いてしまう甲冑者を前にした時の対処法は、先端に重りのある棍棒で相手の骨を粉々に砕いて撲殺してやるのが一番効果的なのだ。

メイスの進化ヴァージョンとしてフレイルという鎖付きの撲激手段があったが、騎士はこの武器は基本的に使用しなかった。扱いも難しく、外すと自分や仲間に当たったりと、熟練度を選ぶ武器だったに違いない。宍戸梅軒が中世ヨーロッパにいたら無双していただろう。

他の打撃手段としては戦闘用ハンマーや斧が人気だった。刀身に重量を残せる武器は敵の頭蓋骨を粉砕する際に丁度よい手段である。同じくヴィンランド・サガのトルケル(作中二番目に強い男)は両手斧で万軍を屠った。

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初期の方の剣は1~1.5kgで刀身は1mほどあった。この剣は斬るのと突くのが出来たが、頑丈な鉄のフルアーマーを身に着けて以降は斬る攻撃はあまり意味がなくなった。そのため、剣の形は先端を細くした刺し貫くのに適した形状へと進化する。

柄も長くとってあるので、両手でがっちり掴んで鎧の隙間に先端をねじ込んだのだ。この攻撃方法は騎馬上では難しかったので歩兵が愛用した。

army horse
現代の軍馬。全盛期と違って戦いとしての道具ではうまく活用できないだろう。

馬は騎士にとっての最良の武器であり、パートナーでもあった。操縦者に速力と機動性を与え、時には鉄の蹄鉄から繰り出される強烈な後ろ蹴りが相手にお見舞いされ、必要とあらば噛みつきも行ったが、草食がメインの彼らを思うと、主人は心強い友人の食あたりを心配した。

馬は騎士のシンボルだったし、騎士身分の者が戦場を徒歩で向かうのは屈辱的な事柄だった。ゆえに、首が回らなくなった騎士の宅にやってきた債権者でも、彼らから馬を抵当として取り上げるのは法律によって禁止された。

騎士は馬を三種の用途で持っており、戦場に駆ける用の軍馬に、乗用車としての乗馬、そして荷を引く用の荷馬だ。現代の価値観で無理やり言い直すと、軍馬がサーキットレースカーで、乗用馬が普段乗りの車、荷馬はトラックとかワゴンだろう。また、新車が毎年毎年発売されていくように、馬も品種改良によってどんどん身体が大きい強いのが発明されていった。

馬は食べ物や飲み物を必要とはしない道具類の中で、とりわけて経費のかかるものだった。草の他には穀物も要求したし、一日に12リットル以上は水を飲んだ。出征中に水不足に見舞われた際は、人間が飲む用の飲料、つまりはワインを馬に飲ませた所、人間は機嫌が良くなりすぎた動物がやらかす不始末に手を焼いた。

戦地が海の先の場合は、困難が倍増した。地面が揺れることに動転した動物は脚を折ってしまうなどの大怪我をしたり、人並みに船酔いもしたが、人間と違って胃の内容物を吐き出せる才能を持たなかったため、馬たちの逃げ場のない苦しみは増すばかりであった。

騎馬兵に対しては馬が一番の弱点になるため、当然の流れでこの物言わぬ生き物が最初の標的になった。そのため、馬の防備である馬鎧も考案されるが、大概はフェルト製の簡単な物だったらしい。この馬の装備品も時間の流れとともに立派に改良されていくが、その頃にはあいにく騎士の戦闘は地上に降りてが一般的になっていた。

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