中世のギャンブル

Medieval Gambling Games Dice and Street games _ Lost Kingdom RPG 経済

今回は中世の賭博場がどんな感じだったのか、どんなゲームが人気だったかを書きます。

古代のギャンブル

この歴史上最も古いギャンブラーを呪術師の中に求めるのを、多くの人は不審に思うかもしれない。しかし、まちがいなくギャンブルの歴史というのは占星術師などの呪術者の中から出発点を見出すことができるのだ。

人間原初の素直で最も早い「運への賭け」は天候を読むことだったのに違いはないはずだ。何故なら、古代の人達は常に食べ物の確保に奔走していたからだ。農業は村という国という大所帯を維持するための生命線であり、天候の行き先こそは古代の農業においての天分であったのに相違はないだろう。

呪術者は聖なる枝や石、羊や牛の足の骨を地面 に投げたときの落ち方で未来を占ったが、農民の気持ちを思うと「出た目」の解釈をつけるのに、本当の気持ちを伝えるのをためらった瞬間が幾度もあったのではないだろうか?

太古においては呪術者が王であることは私は書いたことがあっただろうか?この論説はフレイザーの名著『金枝篇』でスペクタクルに描かれている。

王は王としての特権を享受する代わりに、呪術者として村の作物を安定させるための儀式や占いを的中させる義務があった。そして、聖職者がその役割において成果が出せない日が続いたなら、彼は新しい代表者によって殺されなければいけなくなるのだった。

これもひとつにギャンブルの形である。すなわち、この場合においてはリターンは王の暮らしであり、リスクは命だ。ハイリスク・ハイリターンの究極系だと言えよう。太古のギャンブルのダイナミズムはカイジと同レベルで、生き生きとした精彩を放っている。

(※余談:名作映画『地獄の黙示録』のラストも金枝篇の王殺しをオマージュしているのだ!)

こうした純粋古代の時代からのギャンブルは我々の時代のものとは違うとして、気の軽い運かけゲームくらいならバビロニア時代からも存在し、古代ローマ人は中国から伝わったコイン投げやくじ引きをしていたそうだ。ギリシャ人は男も女も、 貝殻を使ってコイン投げに似た遊びをし、飢饉のときは空腹感を紛らわすために原初的なダイス(サイコロ) を振って遊んだ。

中世のギャンブル

ローマ人にサイコロ遊びを教えたのはギリシア人らしい。新約聖書の時代からこうした遊びは流行っていたらしく、十字架に磔にされたイエスの衣服を誰のものにするかは、くじ引きやサイコロをふって決めたと書物に書かれている。この場合においての賽(サイ)は投げられたも、引き返すことの出来ない運命を象徴づけている。

古代ローマのギャンブル愛は熱烈なものであり、ネロやクラウディウスも臣下たちとダイス遊びに夢中になった。ローマ滅亡の理由は今でも新規の仮説が打ち出されているが、行き過ぎた賭博熱が国を滅ぼしたとする仮説は飛躍し過ぎだろうか。

ただ当時代、為政者は賭博遊びを特別な祭日だけに制限していたのである。国に仕える官職の者ですら職務をサボってダイスにこうじるありさまだったので、腐敗と堕落ぷりを示すバロメーターとしては、当時の賭博熱はいいヒントを与えている。

ローマ帝国崩壊と共にダイスの知識も消失してしまうのだが、十字軍遠征から帰ってきたキリスト教徒たちは、異教徒の首の他に自分たちの先祖の遊びも持ち帰った。

ここで蘇ったダイス遊びはハザードという名前で、由来はハザートという名のアラブの要塞かららしい。ということは、ギリシア・ローマ時代の交流からアラビア人たちは肌の白い兄弟の遊びを健気に保存していたことになる。

それを彼らの子孫が武器を持って奪いに来るのはなんとも歴史の妙であることか。もしくは、ダイス遊びの発祥が実はバビロニアにあったのかもしれない。つまりは、アラビア→ギリシア→ローマの流れだったのか?

ともあれこのハザードという遊びは、その後18世紀までヨーロッパ各地で王侯から農民まで分け隔てなく親しく愛された。その人を魅了する魔力は強力であり、数々のイギリス・フランスの王の富を干上がらせるのに成功させてきたのである。ハザード(危険)というのはダテではなさそうだ。

ところで、ダイスの起源も前述の古代の呪術師の占いからきていると言われている。羊や牛の四角柱の骨を放り投げ、どの面が上に向くかが最初であり、それが次第にゲームになったという次第だ。ギャンブル漫画カイジにもTボーンステーキの骨を主人公のカイジがサイコロに彫る話があるが、案外作者もこの古代のエピソードから採用していたのかもしれない。

ハザード(クラップス)

それでは実際にハザードの遊び方を説明します。といっても、クラップスの方で説明します。ハザードの説明は英語でwikiがあったのですが、翻訳してもまったく意味不明な説明で断念しました。ゆえにクラップスで代用します。そんなにルールは変わらないと思うので。

クラップスのルールを簡単に言えば、2つのサイコロを同時に投げ、合計数を当てるというゲームである。合計数が7もしくは11になることに賭けるのをパスラインに賭けると言い、合計数が2か3か12になるのにベットするのをDo’ntパスラインと単純に言う。

ダイスの目の合計数が今言った7,11,2、3,12のいずれでもない合計数となった場合は、次は出る目を予測する遊びにはならない。その時に出た合計数と同じ目が出るように競う遊びになるのである。つまりは、例えば目の和が10になっていたなら、サイを振るプレイヤーは目の和が10になるよう目指してダイスを一生懸命振り下ろすのである。

10が出たらダイスを振るプレイヤーの勝ちで、和の目がもし7にしまったらプレイヤーの負け。10でも7でもない数になったら、もう一度振る。次も出なかったら、もう一度。もう一度…つまりは最初に出た目の和、もしくは7が出ない限りには永遠にサイを投げ続けるのである。

ちなみにこのゲームはサイコロを振る以外にも、サイコロを振る人のオーディエンスになる参加の仕方もできる。この場合、彼らの遊びは純粋にサイコロの目の合計数を当てるだけとなる。

最初の場合で言えば、パスライン側に賭けるかDo’ntパスの方にチップを置くかを決めるのだ。例えば、仮に私がパスラインにベットしたとしよう。その場合シューター(サイコロを振る人)が7か11を出した場合私の儲けになる。反対にシューターが2,3、12を出してしまった時、私のチップは没収されるのだ。そして、もし私がDo’ntパスにベットしていたら、逆のことが起こるのだ。

さて、先ほどの7,11,2、3,12のいずれでもない合計数となった場合だが、この場合のオーディエンスの命運は、最初にパスライン側に立ったかDo’ntパスの方に立ったかで決まってくる。

両者ともテーブルに置かれたチップはそのままにされるという所までは同じである。パスラインにベットをした人は、シューターと同じくその時に出た目の和と同じのが出れば勝ち。7が出た場合には負け。反対に、Do’ntパスにベットしていた人は7が出た場合に勝ちとなる。

あとの詳細なルール説明はこちらの優良サイトを参照されたし。説明の概略を読んで分かっただろうが、究極の運ゲーである。ゲームというのは運にかけるのが常にいちばんなのだ。実力と運がないといけないゲームだと実力が運の足を引っ張るけど、純粋な運ゲーなら運のみで勝負できて実力がない者ほど有利だからだ。みなさんも、カジノに遊びに行った時はクラップスで遊ぼう!

カードゲーム

14世紀ごろになると、ダイスの他にはカードゲームも流行する。これは中国へ旅した商人や冒険家が持ち帰ったものだとされているが、ヨーロッパでは最初にイタリアで、1組78枚もあるタロットカードのように鮮やかな物を並べて遊んだのだという。

人々は不毛な十字軍活動が収まると、いよいよ暇を持て余しますます余暇に傾注していく。スポーツ娯楽も盛んだったが、何よりも人を魅了した遊びは賭博だった。

そのため英仏では社会のインフラたる労働者階級は、ギャンブルを週末と祝日のみにと法律によって制限されたぐらいだったが、聖書に賭博は絶対悪だと書かれていない限りにおいては、彼らはあくまで良きキリスト教徒の規範の内で生活を送っただろう。

貴族はお金を持っているから社会に不良債権の問題が起きないとされてきたのだろうか?ともかく、この特権階級には下級の人たちと違って、ギャンブルを賭博活動を制限する法の記録は残されていない。どころか、17〜18世紀までのギャンブル絶頂期には賭けにどのくらいの財産を注ぎ込めるかで、その家柄のパワーを測る指標とされたほどだったのだ。

さて、カードゲームの話に戻ろう。原初のイタリアカードは78枚と多くあり大変だったが、この形式は15世紀フランスにおいて、現在の13×4=52枚の形態へコンパクト化する。

4つのマークはフランス社会の4つの階層を表わしており、ハートは教会、スペードは軍隊、ダイヤは商人、クラブは農夫を象徴していた。このため、中世フランス人の大多数はクラブが他の者を打ち倒す事に喜びを覚えただろう。

現代であればカードゲームは、ポーカーや七並べ、大貧民、銀行、豚のしっぽなど数種類のゲームがあるが、今よりもずっと娯楽の種類が少なかった中世においては、52枚のカードから繰り広げられるゲームの種類はほぼ無限大にあるといっても差し支えなかった。人の種類の数ごとに地域の数ごとにカードゲームは存在したのである。

La Mouche(モッシュ)

それではフランスの古いカードゲームを紹介します。これはポーカーの原型になったと言われるゲームです。ゲームはポーカーと同様に数人で参加でき、各人に5枚のカードが配られます。

仮に3人でこのゲームを始めたとしましょう。A君、Bさん、C君に5枚のカードが渡りました。C君は手札を見て、手が悪かったのかゲームを降りることにしました。こうしてゲーム降りができるのは今のポーカーと同じですね。私の地元のルールは降りは禁止でしたけど。

カードが配られた際にできるのは、今言ったみたいな”降り”(このゲーム用語ではパスという)の他に、カード交換と、キープがあります。カード交換はポーカーとまるっきり一緒で、自分の好きな枚数分だけカードを捨てて、山から新しいカードを拾ってこれます。1枚だけ替えたいなら1枚交換すればよいし、5枚全替えしたいなら5枚捨てて5枚を山から拾ってくる。キープも我々に馴染みのもので、文字通り最初の手札をキープするのである。

ゲームを続行したA君、Bさんはチップを賭ける義務が発生します(チップの額や賭け方については割愛します。その他にも細かいルールがありますが詳細はこちらのサイトから参照されたし。※はっきり言って説明が死ぬほど分かりづらいです。ディープル翻訳で訳しながら調べましたがディープルは本当に専門用語が多い文章を訳すのが苦手である)。

さてA君、Bさんのサシの対決となりますが、以下のような対戦の仕方をします。

事前に決めたカードを切る順に、カードを一枚一枚出し合っていき、対戦相手のカードをより多く打ち負かす勝負となります。カードの強さはポーカーと同じで強い順に、キング・クイーン・ジャック・エースです(私の地元はエースが一番強いですが)。あとは数字の大きい順に強いです。

以降、実際に会話形式で勝負の様子を見ていきましょう。

A君「それじゃあ、僕が先攻なので絵札を指定するね。ダイヤで勝負だ」

このように、先攻・後攻を決めて対戦相手に対して絵札を要求できます。今回のケースでは先攻・後攻と二人しかいないので単純ですが、三人以上いたなら、反時計回りに絵札を要求する権利の順番が回っていきます。

Bさん「分かったわ。じゃあダイヤの10を出しましょう。あなたのダイヤの手札は何かしら?」
A君「うわ、しまった。そんな強いのを持っていたのか。僕のはダイヤの9で、一枚目は僕の負けだ」

Bさん「ようし、次は私の攻撃ね。あなたにはクラブの絵札を要求いたします」
A君「げっ。そんな絵札は僕の手元にはなかったよ」
Bさん「そんなら、”切り札”のカードで勝負しなさい」
A君「分かったよ。はい、スペードのエースね」
Bさん「私はクラブの4だったから負けれて良かったわ。雑魚カードであなたの強いカードを放出できたもの」
A「ちぇー」

ここで”切り札”という新単語が出てきていますね。切り札というのは親が決定する特別な絵札です。これは最初にカードをみんなに配り終わった後に、山から一枚抜いて表に向けた時のカードの絵札です。このゲームではディーラーはスペードを場に出していたみたいです。

今回の場合のように、切り札を要求されるのは常に不利です。それは相手が要求する絵札がない場合は必ず切り札の絵札を出さなくていけないからです。一度消費したカードは取っておけないのに、相手のカスカードなんかで勝っても得はありません。

A君のケースであれば、相手が10でも出した時にエースで打ち破りたかったのだ。そうすれば、相手の10という強いカードを消してやった上で自分も白星を多くできるのだから。

ところで、A君にしろBさんにしろゲームを続けていれば、どこかの段階で必ず要求する絵札も提出できない、切り札の絵札も提出できないというシチュエーションに出くわすはずです。手持ちカードがどんどん少なくなっていくのだから、それはまったく当然だ。

そんな場合、説明書には要求される絵札も切り札の絵札も出す必要はないと書かれていた。私はこの説明を見たとき純粋に意味が分からないと感じました。そんなんで、どうやって決着をつけるんだよという話だからです。

なので、もし暇な人がいたら上のリンクでゲームのやり方を調べてもらいたいです。はっきり言って、説明が死っっっぬほど分かりづらいので理解するのに苦労すると思います。私は分かる部分だけ説明するとします。

ちなみに、このゲームは最強の役みたいのが存在します。それはまさしく”モッシュ”という名の役で、5枚を最初に配られた時に全ての絵柄が同じ組み合わせです。

お気づきでしょうか?ポーカーでも全て同じ絵柄になると役になるものがあって、フラッシュといいますね。それで、La Moucheというフランス語なのですが、これは蠅という意味です。ハエは英語でフライと言います。フライとモッシュ……合わせてフラッシュ!とこんな具合で出来た単語なのではと私は推測してます。ま、どうでもいいことですがね。

さて、カードを5枚もらった時にモッシュになっていた場合は、これはもう最強の役ということでカードの出し合いという手間をせずに、全ての相手に勝つことが出来ます(麻雀の天和みたいですね)。

ということは、対戦相手がモッシュを持っている場合は勝負を避けなければいけなくなるわけです。だって、そのカードに勝つことは絶対に不可能という決まりになっているのだから。

こうした理由から、カードが配られた後にはしばしば「君はモッシュを持っているのか?」という探り合いが始まります。尋ねられた相手はしらばっくてもよいし、逆に思わせぶりな態度を取ることもできます。カスカードばかりだったのに、相手の方が勝手に降りてくれれば儲けもんです。

反対に相手がモッシュを持っているという予感を的中させた場合は、その人はゲームをパスすることによって被害を最小限に抑えることができます。パスした人は、カードをキープしたりカード交換した人とは違って、ネクストチップを払わなくて良いからです。

中世の賭博場

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現存する最古のカジノ。カジノ・ディ・ヴェネツィア。1638年頃にイタリアのヴェネツィアに設立された現在も運営されている。

上の写真の説明にあるようにカジノは比較新しいもので、16世紀まではカジノという純粋な賭博のためだけの場所は存在しなかった。

中世の時代においては、ありとあらゆる場所がギャンブルゲームの場だったので、改めて賭博専用場を置く必要には駆られなかったのである。また、中世時代の賭博禁止法は厳しいかったので、仮にみんなが隠れてやっていることが黙認されていたとしても、公然とギャンブル施設を建てることははばかられたのだろう。

とりわけ、旅館はギャンブルビジネスの代表的な場だった。みなさんも出先で適当なビジネスホテルに泊まった際はそれなりのサービスを期待するだろうが、中世においての賭博のサービス(公然と勧めていたわけでもないとは思うが)は旅先のちょっとした贅沢みたいなものなのだ。

宿屋の亭主はしばしば胴元の役割を果たした。遊ぶ金のない者がうろついた場合には気の良い質屋に変身し、近所や他所からやってきた信用のおけない賭博者が約束を守るように、財産を預かる銀行屋としても監督した。

宿屋はローマ人が残した立派な街道沿いに置かれる場合が多かった。先にも言ったようにギャンブルは貴賤に問わずみんなが好きであり、貴族ももちろん好きなのだ。貴族さまという特権階級は法律によって特にギャンブルを禁止されていなかった。

そして、街道というのは基本的な目的は軍隊が舗装された道を効率よく進んでいくためのものなので(詳しくはこの記事にて)街道沿いにある宿屋の亭主は貴族のお客さんが賭博に来るのを手もみして待っていたことだろう。

昔は貴族に軍人が多かったのである。遠征帰りの際は書き入れ時だっただろう。敗戦して帰ってきた場合はどんな雰囲気だったか想像もできないが。まあ、貴族の景気が悪かったとしても、金を持っている商人は街道をよく通っただろうから、商人が旅館で遊んでいくのも期待はできたわけだ。

酒場も賭博場

市壁の中の酒場だって賭博が盛んに行われる代表的な場だ。酒をワイワイと飲んだり吐いたり、ケンカしながら、カードゲームやサイコロふりを楽しんだ。

賭博が一般的な素朴な遊びの時代だったので、ギャンブルするといっても仲間内で家族的・友達的にやるのが普通だった。そのため、ディーラーなどのちゃんとした存在もいなく、酒場のマスターに親役を頼まなくっても、そのへんの見知った友達同士で胴元を作ったりした。……いざこざが多かっただろうことはくっきりと情景が浮かび上がる。

何度も言うが、賭けゲームは昔の素朴な遊び。カードやダイスだけでなく、ボーリングみたいなのや、頭にりんごを置いて弓を構えるスリリングなゲームもあったし、貴族たちはスポーツ賭博をこよなく愛したのだった。王様が賭博をみんなに禁止しておいて、自分はギャンブルで破産するなどもあったくらいの時代だったのである。

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