中世の建築現場(道具と作業風景編)

石工.16 建築

前回の記事では建築屋さんの労働事情などを書いたので、今回は純粋に石工が現場で構造物を造るのに使っていた道具と、実際の当時の仕事風景を再現した動画を紹介します。

石工の道具

まずは中世当時の石工が使っていた道具でも、特に中心的だった物を羅列する。ピッケル、斧、バール、コテ、チョーク、ノミ、ハンマー、クランプ、トラフ、一輪車、水準器、三角定規などなどだ。

どうだろうか?ほぼ現代の石工業者が使っている道具と大差はない。しいて言うなら、ノミなどはあまり使わないだろう。現代では複雑な形状の石造品の一部分は工場などで作ってから運ぶからだ。またハンマーの使い方も、中世当時では主に石を手頃なサイズに割るのに用いたが、現代では採石場で機械を使ってばらばらにするのが一般的である。

石を切り分ける

石材を高層に組み立てたり複雑な形状に造りげていくための第一段階として、岩石を丁度よい大きさに切り分ける作業が必要だ。ノミなどでコツコツと小さな穴を岩に開け、そこに楔(くさび)を打ち込み、ハンマーで打ち下ろすと石がきれいにぱっくり割れる。

これはコツのいる作業で、角度や位置を変えて石の分かれ方を計算するのだ。熟練の石工になるほどに、どのポイントにどう打ち込めば石がどう割れるのかを読むことができる。また、水に浸した木の楔を穴に差し込み、膨張させて岩石を割るうまい手法も存在した。

見事な石造装飾は石工の仕事だったが、名の知れた彫刻師に彫ってもらうケースもあった。中世当時の大建築は人に自慢させるという大義があるので、この天井画はあの画家に描かせたとか、この素晴らしい石造芸術はあの有名な彫刻師に描かせたのだ、などの見栄が欲しいものである。

腕の良い(名前の大きな)工芸家を移動手段がまともに確立されていない世の中にあって、あっちに行ってこっち来てくれとはなかなか出来ないので、中世でもやはり工場(こうば)で創作した物を現場まで運んで組み立てていったのである。

そして、石の芸術品は重量がある。運搬には陸路では力の強い牛を使う。大聖堂にはありがたい牛の彫刻がよく施された。川に近ければ近いほど有利で、よっぽど水から離れていない限りは川まで運んで、船で重量物を運搬をした。中世のインフラ事情についてはこちらを参照されたし。

現場での道具

中世の建築には、他にもさまざまな道具が使われた。石材や建材を入れた籠を壁の上まで運ぶには、ウインチや滑車が使われた。木製の足場で石工たちを高いところへ行けるようにした。現代の足組はアルミがメイン。1組の足場でも死ぬほど重く、土方の腕力のすごさを思い知らされる。中世の方が足場は軽かったろうが、木は腐るし強度の点で不安だ。

石工の鏝(こて)は、石組みの間にモルタルを塗るのに使われた。小さな隙間のモルタルは、より小さなポインティングコテで作業された。モルタルは、モルタルミキサーと呼ばれる木で囲まれた深い穴の中で混ぜられた。

モルタルのくだりなどは、現代とやっている事はほとんど変わらない。ただ、中世当時が現場でモルタル木枠を用意してこねこねと石材粘料を造っていたのに対し、現代ではすでに工場で造ってしまった生コンをミキサー車が運んできて、そいつをコンパネ(コンクリートパネル、すなわちコンクリートの木枠である)に流し込むだけなのだ。※流し込んだ後にミキサーで再度撹拌させ、水養生もする。

建築をやっている人ならば、ここである重要な疑問点が沸くだろう。それは、当時の大建築物には鉄筋がちゃんと入っていたのだろうか?という点だ。

鉄筋コンクリートという偉大な発明は、ジョゼフ・モニエというフランス人技師が有名であるが、彼は18世紀という近代の人である。中世当時から鉄筋コンクリートというアイデアがあったとは私には思えない。

そもそも軍事基地である城はもちろん、聖堂なども戦などで割と度々壊されたりしているのだ。戦争がなくっても、年月の劣化で昔の聖堂に大掛かりな改築工事を施すことは普通だったので、あるていど、形あるものいつかは壊れるの考えでやっていたのだろうと考えられる。

要塞の建築動画

ここらで実際に中世当時の建築工事の風景をご覧入れたい。Youtubeに素晴らしい中世オタクのための動画が用意されていたのである。手が凝っていて非常に再現度の高い?動画です。

Can We Build A Castle With Medieval Tools? | Secrets Of The Castle | Timeline

8:30〜 ノミで砂岩に小穴を掘って、そこに鉄の楔を打ち込む。長尺のハンマーでとどめを入れる。いい具合に亀裂が入ったら、そこにバールを差し込んでパックリ分かつ。

10:00〜 石材の講座。黒っぽい砂岩は鉄分が多く、耐力壁(地震や風などの水平荷重に強い壁)によく使われるそうです。

17:48〜 旧式の汎用旋盤。動力はもちろん人力。ペダルを漕いで回転力を伝えている。

20:24〜 麻ひもをよってロープを造っている。これは井戸水を引き上げるためロープだったようだ。先ほど旋盤で製作したプーリーもここで活躍する。……当たり前の話だが、中世当時でもいちいち現場でこんな物を作ったりしない。ロープなりプーリーなり、普通に町中の店にある既製品を持ってきて取り付けるだろう。ここらのカットはモノづくりの面白さを伝えるための演出に過ぎないのだ。

21:55〜 モルタル造り。さっきの井戸水の伏線はここで回収。うまくできてる。モルタルの造り方も技術があり、技が盗まれないように厳重に隠すみたいです。焼石灰は用意してきたやつだ。さすがに石灰を造る工程までは思いつかなかったみたいだ。

24:15〜 いよいよ巻き上げ機の登場。高所へ重量物を上げる動力はハムスターになった二人の男性。滑車の中をご機嫌に歩いている。

25:30〜 石造の組み立て(直球)とも言うべき工法。大きさは同じくらいだが形がばらばらの、ただハンマーで砕いただけであろう石を積み上げて、モルタルで接着する。原始的な水準器で水平を出し、ハンマーで素材を叩きつけながら固定していく。

28:10〜 工事とはあまり関係ないけど、ここは以前の記事で紹介して農民家屋の暖のつくり方の工夫を再現している。汚らしい土間敷を背の高い植物の茎を束ねた物で敷き詰めている。女性はこのリフォームに心をよくし、きれいで暖かくなったと喜んでいる。将来お嫁さんをもらうなら、こんな安上がりな女性がいいだろう。

30:50〜 ドアを取り付ける部分に金属を使用するみたいだ。ふいごで溶解した熱い金属を適所のくぼみにうまく流し込む。一発勝負で失敗ができないようで大変だ。

32:15〜 ここから本格的に危険な作業に入っていく。重量物をウインチで作業者の近くまで持っていき、建造物に継ぎ合わせている。中世当時でもこのへんの作業でよく重大事故が起きただろう。

40:45〜 石灰岩を使って彫刻をする。窓やアーチなどの複雑な形状を生み出すために、マスターに見守られる中、徒弟がノミを振るう。ここでは平面をつくる実習を行っているみたいだ。平面出しは奥の深い世界で、日本の現代の機械加工でもきさげ加工という技能がある。特注の高価な定盤はヒューマンメイドで生み出されるのだ。

43:30〜 礼拝堂への階段を企画。マンガ絵を用意し打ち合わせる。紐をまっすぐ引っ張り、チョークで線を引く。この便利なチョーク引きの道具は形状こそ変われど、現代でも販売されています。チョークラインという名前です。

45:40〜 螺旋階段を造るようで、マスターメイソンの仮工場でコンパスを使いながらデザインを明らかにしていく。設計屋でもある石工の幾何学の才能が発揮されるシーンである。まず木でテンプレートを作って、そこから石で同じ形状の螺旋階段の一部を造り上げていくのだ。…説明が遅れたが、タガネを叩くこの特殊な丸いハンマーはマレットハンマーである。

48:40〜 鍛冶屋の登場。石工の武器は彼らの手によって作られる。見てきたとおり、石の彫刻をちっぽけなノミでコツコツと削っていくのみなので、道具の消耗は相当に著しいだろう。工事の最中に忙しいのは何も建設現場の石工だけじゃないのだ。建築工作具のメーカーも休むまもなくふいごを踏み、金属を叩き、形を仕上げる。

50:35〜 再び家庭編。奥さんが植物の茎と灰を使って容器をごしごし磨いている。このへんも前の記事を参照にされたし。野草を摘み取ってご飯を用意する。花は高級品だったらしい。穀物を石臼で引く貴重なシーンもお見逃しなく。

53:50〜 螺旋階段の一部を改築エリアにまで運ぶ。ウィンチや、テコ、コロと使えるものは何でも使って所定の場所まで運ぶのだ。素晴らしい巨大な水準器で、水平を出し、モルタルとハンマーで適切に位置を固めていく。


動画を見て思ったのは、先ほど石造装飾品は名のしれた彫刻師から輸入すると書いたが、自分の町で作ることがメインなのではと思い直した。というのは、仕事はやらないと覚えない、技術はやればやればやるほど身についていくもので、技能工芸を他国ばかりに任していると、自分のところの技術が衰退していってしまうからだ。

それに、自分の町で作る部品が多いほどに仕事は増え失業者対策にもなる。労働者は仕事が多いほどに腹が減り、飯がいる。飯が足りなければより他から取ってこればよいのだし、より工夫して作ればよい。より町の全員がエネルギッシュになり、経済はますます活気を取り戻すのだ。輸入は限定的だったのではないだろうか。

もっと重要な事には防衛がある。過去であっても現在であっても土木工兵という存在は必要不可欠であり、今みたいに軍事基地である要塞を建築したり、橋や、気の早い話では墓を作るのだって熟練の労働者たちが必要だった。

自分の町にいる石工は言うなれば、その土地の支配者の生きる資産であるとも言えるのだ。よく言う、国民こそが最大の資産である、という言は中世ではより切実だっただろう。

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