中世の建築現場(労働事情編)

Old English Illustrated Hexateuch 建築

今回は中世の建築屋さんを通じて、彼らの労働環境や生活っぷりを書いていきます。

中世建築の主役石工

最初に、職業の細分が著しかった中世において、建築という事業においてどんな種類の人達が集まったのかを純粋に羅列しようと思う。

石工・大工・鍛冶屋・遠心分離機職人・羽子板職人・荷車職人・ステンドグラス職人・彫刻師・画家・ガラス工・屋根工・鐘工・金属職人・ロープ職人・運搬業者・日雇い(もしくはボランティア)の農民

現代であれば、大工の他には電気屋、設備屋、配管工、クロスや絨毯を張る業者、大量の搬入・搬出がある場合には日雇いのアルバイターくらいしか思い浮かばないので、科学力もなく分業主義が栄えていた中世の建築現場には数多種々の人間が集まったのが想像できる。

現代においての建築現場の総指揮的ポジションを担うのは土建屋、すなわち大工であるが、中世においての取りまとめ役は主に石工だった。もちろんこれは聖堂や城などの石造り基本の建物ならではの話なので、木造家屋が主流の北方ガリア地方の一般住宅では大工が主役だったと思う。

さて、前回までの記事で見てきたような荘厳で技術高い建物を建てるのにあたって、石工が監督立場を貫くには、それに見合うだけの技術力や知識がないといけない。現代であれば、技能の領域は大工たちの手によって要件を満たすが、設計領域では大学を出てきた建築士の出番が必要になる。

中世においても、高学の聖職者が設計図のペンを取ったりもしたが、基本としては石工が絵も餅も作り上げたのである。ということは、この時代の職人連は相当に万能だったのだ。レオナルド・ダ・ヴィンチの万能性というのも、当時代の垣根のない学術・芸術運動による賜物だったのかもしれない。

と言っても、当時の職人連が専門的な建築工学に精通していたわけでもない(算術や幾何学には長けていたが)。彼ら石工や大工は、先輩・先代の技能・技術の伝承によって、巨大立体造形物を実現させていったのだ。

当然、それぞれの石工によって腕の差があるわけで、しかも紙に理論を書き起こしたりというのまでもしていたわけでもなかったので、しばしば絵に描いた餅は膨らまずに巨大な石の塊が高所から崩落した。当時の労働災害は今とまるで比較にならないレベルで酷かっただろう。彼らの犠牲の数々が我々の時代に精緻な建築技術を与えてくれたのだ。感謝せねば。

石工ギルド

石工が中世の大建築現場での主役であった事はもう言ったが、そんな大きな顔の立場の人たちにギルドがなかったなんて想像するほうが無理な方だろう。石工は英語でメイソンなのだが(maisonはフランス語で家を表す)フリーメイソンもギルドや友愛会という寄り合いの集まりが元らしい。ちなみに、フリーメイソンのシンボルはコンパスと直角定規である。当時の建築設計道具なのだ。

ギルドは寄り合い的な集まりであるし、職安的な役割でもあるのは上記リンクに書いてきたが、石工ギルドでも人を育て、職を割り当てる(独占もする)仕組みが存在した。徒弟・職人・親方の構成はモノづくり仕事では基本型である。石造物件の建築現場では、親方の中から特に経験と実績のある人をマスターメイスン(石工長)として選び、大工事プロジェクトを進めたのだ。

労働環境と労働条件

ギルドについて語った流れで、ここで中世の建設現場における労働環境や扶助の仕組みなどについて追っていきたい。

大聖堂建築では熟練工だけでも50人〜100人は働いていたというらしいが、彼らは何時から何時まで働いていたのだろうか?

ほとんどの場合は日の出から日没までの日が射している時間であった。現代の建築工事はなまじっか電気が発達しているもんで、大きなポータブルライトを設置してまで夜間工事をさせている現場もあるくらいなので、時間条件に関しては中世のほうが具合が良さそうだ。

当然休憩もある。土方現場でバイトした経験がある人ならば知っているだろうが、建築屋の仕事は一服休憩はほぼ必須なのだ。休まず続けると危ないからである。

すごいのは、補給のための飲料が酒というところだろう。当時の飲料がきれいな水は少なく、喉を潤すにはブドウ酒が基本だったとはいえ、なんとも素晴らしい労働環境ではないか。そして、午後1~2時ごろには、昼食と仮眠のために2~3時間休憩するのだ。

字面だけ見れば最高のホワイト職場じゃないか。宗教休日も多かったらしく、もう言うことなしであると言えそうだだが、月収制や有給は存在しなかったと思われる。

労働災害

当時の労働災害はどんなものが多かっただろうか?高所で重いものを水平・垂直に移動させる仕事だ。転落や押しつぶされが大事故の主因だったろう。中世の時代に命綱や安全帯がなかったのは、人の命が安かったことの力強い根拠になる。

数々の石材を扱って手が荒れるのを防ぐには手袋をすればよいし、石の粉が舞う中を行動するのは肺によくないだろう事は中世人でも予測はついたに違いない。口元を布で覆ったりはしていたのではないだろうか。ただ、それでもじん肺になる労災者は今よりもずっと多かったろう。

後述するが、あんな高いタワーやら背の高い堂内の天井をどうやって実現していたかというと、当時にもクレーンに匹敵するような素晴らしい機械があったのだ。ただ、機械といっても電気は通ってない。滑車などを使って人力で動力を確保し、巻き上げ機で石材を釣り上げるのである。

コロやテコでも何でも工夫して高層の建築物を造り上げていくわけだが、基本は人力でありやはり過酷な肉体労働である。人が疲れた状態にある時にもっとも事故は起こりやすく、高所から重くて固いのを手から滑らせたりもしたし、大荷物をひく牛に自分の足の爪先までひかせてしまう例もある。

高所転落や崩落でスッキリと即死した場合なら、すぐにでも天国に直行できるので問題はないのだが、中途半端に生き残ったケースでは目もあてらないだろう。当時は今のような社会保障なんてないのだ。障害者になった状態で、労働者の家庭は不具の夫を抱え、妻と小さな子どもで家計をやりくりしなければならない。地獄だったろう。こうした事情が友愛会、ギルドが誕生する理由となったわけだ。

職人組合誕生の理由は他にもある。13世紀以降のヨーロッパでは、大聖堂、修道院、城、要塞などの大規模なプロジェクトでは、労働力はその町の同業者組合からではなく、建築家や請負業者の親方と一緒に働く個人の企業、職人の巡回チームから集められるのが普通だったのだ。

旅回りの熟練労働者は地元の労働市場からは常に手元に確保できたわけではない。それゆえ、こうした職人に不幸があった場合は、この小さなコングロマリットはキリスト教式の埋葬を手配し、遺族を養い、死者の負債を清算した後に死者の私財を確実に家族に渡すことなどの補助を約束した。

その代わり、彼らは職人が敵対する所の建築プロジェクトに参加しないよう迫るようになる。職人からしてみたら、常に仕事が安定して転がっているわけでもないのに余計なしがらみに囚われたくなかったろう。こうした労苦と悩みの解消に向けても、組合ギルドの必要が顕在化していくのだ。

賃金などに関して

中世には大規模の聖堂やら城やらが多く、ひとつの案件で100人も動員される事は書いた。だのに、職人たちが将来の職の安定を心配するのは何故だろう。その理由は、中世特有のガバガバな財政管理の仕方にある。

貴族政治の金勘定のいいかげんさはここでは詳しくやるつもりはないが、彼らは大記念碑を打ち立てるぞといつも景気よく意気込むのはいいのだが、見通しが常に甘く、工事途中で発注者の金が尽きて建築工事がまさに中断されることがしばしばあったのだ(現代でも新幹線の延伸工事がなかなか進まなかったりもあるので、ひとのことはとやかく言えなさそうだ)。

工事がストップすれば、仕事をしていないわけなので当然職人たちに給金は渡らない。自分の属している組織のボス格が、俺の許可しないところから仕事を取るなと命令してくるのは、横暴以外のなんでもないのだ。

その一方で素朴な話もある。中世初期の頃には農民が教会の建築現場で半熟練労働者として、無償で働くこともあったという。この場合、農民は現在の報酬ではなく死後の報酬を期待したのだろう。いずれにせよ、農作物が豊作で余裕があった時期にちがいない。

どれだけ神にお祈りしても、天の人の意思は誰からも遠いものだ。災厄はどの時代でも連続して重なっていくものである。黒死病の発生で経済が瀕死の時に限って賃金は上がらず、むしろ低下すらした。そして、感染症が収まって人口が減った後では、労働力確保のために賃金は上がるのだ。

災厄がなかった時代においても、豊かにやれたわけではなかった。石工は給与は比較高めだったろうが、中世ヨーロッパは住居費が高く、中古車ならぬ古馬を買ったり、ギルドの寄り合いで飲んだりするゆとりはあったろうが、大学に行ったり、騎士になるべくの戦備品を買うようなお金は作れなかった。

つまりは、職人家庭で生まれた者はだいたいが職人人生でまっとうしていたわけだ。まあ、無理して騎士なんか目指そうとしなくてもいいのは前の記事に十分書いた。一般的な平民は、冠婚葬祭の時のための小金を貯金をするくらいで、彼らにとってはそれがフツーに幸せだったのかもしれない。

遍歴職人

遍歴職人というのは、その名の通り遍歴する職人を指す。狼と香辛料の主人公ローレンスが行商人として、スパイスと狼を手元に架空のヨーロッパ大陸を旅したように、職人はmyハンマーにmy定規を旅袋に入れて外国諸国を周ったのである。

こうした活動はどこから生まれたのだろう?かわいい子には旅をさせろの理論で息子に店を渡す前に、大陸中を冒険させて強くしようとしたのだろうか。半分は合ってて半分は違うだろう。

どういうことかと言えば騎士の話のときにも書いたが、中世では家督は長男にあり次男以下には資産を継承することが出来ないのだ。次男以下はどうせ親方をやれないのだったら、目の上のたんこぶの兄貴がいるファミリーの元では職人を続けたくはなかったのだろう。

ただ、兄弟仲良くで建築屋をやっているところもあったにはあっただろうから、職人家庭の継承問題以外でも普通に遍歴は行われる。外様の職人で地元に仕事が少なくなったぞという場合は、親方は職人組合を通して遍歴に行かせたりしたのだ。

職人組合のネットワークは大陸全土に渡っていたので、外国で労働の手が足りていないとなれば、親方(社長)同士のつながりで熟練労働者をつなぎ渡していたのだろう。

もちろん、金持ちの所のドラ息子がぼうけんしたいからというので放蕩を許したケースもあったと思う。そうした場合においても、彼らは親方から受けた任務をきっちりとまっとうしただろう。

つまりは、この時代このような遍歴のベテラン労働者たちが、発注元から適正な賃金が引き出せるよう結束して談判したのである。これこそ春闘であり、組合の組合らしき原点だ。

石工組合の具体的扶助

組合に加入している遍歴の職工たちが故郷を離れ初めての町へ入る。当然すぐに仕事や住み場が見つかるわけもない。そこで、組合からの援助が生まれるのだ。組合は新入りに飲食の世話をしなければならず、可能であれば仕事と住居も見つけてあげなくてはならない。不可能だった場合においても、次の町へ仕事を探すまでの間の旅費が約束されたのだった。

このくらいの頃から年金や健康保険などの概念が生まれ始める。組合に支払う福祉の基金は、旅先の職人が病気したときのための原資とされた(性病などの若すぎる奴らの為の職業病は適用外だが)。入院した同僚を見舞う規則すらあったので、ある点で現代よりも温かく感じられる!

<つづき→>

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